IE NEWS 日本語版 117号 1994年 冬 

 
バタフライ効果
小野憲爾(長崎大学医学部第二生理)
     1983年8月のある日,10年来の研究仲間である脳外科医の馬場啓至君と私は,自宅で療養されていたJuhn A. Wada 先生に呼び出された.当時馬場君は,バンクーバーのWadaラボに留学しており,実験の進捗状況などを毎週報告することになっていたのであるが,それだけでなく,てんかん特にその臨床に関する知識と経験に乏しかった我々にとって,先生の深い見識に基づいたてんかんの広い範囲にわたる話題は,刺激的であり楽しみであった.バンクーバーを離れ文部省在外研究員として,ニューヨーク大学に向かう直前であった私にCorpus callosumの機能についてレビューするようにと命ぜられたのはそんなときであった.脳梁や大脳半球の機能に関するWada先生の業績は勿論知っていたし,すでに相当数の難治てんかんに対する脳梁切截術の症例を経験されていることも知ってはいたが,私自身は,殆ど何も知らない状態であった.滞米中,あたふたと文献を集め勉強したが,結局,帰国の途中に再びバンクーバーに立ち寄り宿題とすることで御許し頂いた.その約束は10年たった今でも果たせないでいるが,その後の私どもの進路に大きく影響しているように思える. 

     1986年に馬場君が帰国した頃,脳神経外科教授であった森和夫先生の勧めで,てんかんに対する系統的な外科治療を始めようということになった.当時すでに,静岡のてんかんセンターなどでは側頭葉てんかんに対する外科手術が始められていたが,長崎では皮質焦点切除や視床VA-VL核の定位的破壊などを少数例で経験していただけであった.Wada先生の助言もあり,地域のてんかん診療に携わっている人達に呼び掛け定期的な症例検討会で難治てんかん症例の見直しなどを行うことにした.その時に集まった松坂哲應君(長崎大学医学部小児科),須貝聖一君(国立長崎中央病院小児科),高橋克郎君(国立長崎中央病院精神神経科)などが,それぞれ興味の対象は異なったが年齢もほとんど同じであり率直に意見を交換し得たのは幸運であった.各科寄り集まっての症例検討会ですぐにいくつかの問題点も生じたが.「この症例のてんかん発作あるいは発作症状はどこで,どのようなメカニズムで起こるのだろうか?」という最も基本的なアプローチで同じ症例で同じデーターをもとに討論していくことにより,共有される知識と経験が増加していくにつれて次第に解決できた.その過程で判断基準が共通化されたように思えるし,少なくとも完全に一致はしないまでもお互いの判断を相互に理解できるようになった.その後「難治てんかんグループ」として継続的にてんかんの診療と研究にあたっているが,この意味で,私どもの「てんかんに対する集学的診療」の試みは一応の成果を挙げつつあると自負している. 

     当初から,いわゆるdrop attackや非定型欠神発作など難治の全般発作で脳波上前頭優位の両側同期性遅棘徐波を示す症例では脳梁切截術の適応を考慮してきた.いままでに20数例の脳梁離断症例を経験しているが,1例1例で発作の病因を探る努力をしてきたつもりである.一般には,脳梁離断は1側大脳半球の発作が反対側へ拡大するのを遮断する外科あるいはpalliative surgeryとして捉えられているようであるが必ずしもそうではない.離断後,発作波の片側化,非同期化に加えてその頻度の減少,持続の短縮,低振幅化が臨床発作の頻度減少や軽減化とともに見られるのが普通である.完全な発作抑制をすでに4例で経験しているが,脳梁は単に発作波の片側化や非同期化だけでなく,発作の発現と維持に直接関っているとしか思えない.同時にこの臨床的事実は,全般発作の病因についても示唆的である.続発全般てんかんの少なくとも一部は大脳皮質にその一次的な病因がもとめられるのではないだろうか?続発全般てんかん症例で画像診断により大脳皮質の異常が見出される症例が少なくないようである. 

     脳梁は,ヒトで約2億本の神経軸索を含む左右大脳半球間の情報伝達に関わる比較的大きな構造物である.今年4月に亡くなったSperryとその門下生による数多くの業績によって高次機能における役割が明らかにされてもいる.Bogen とVogelによる脳梁離断難治てんかん症例がGazzanigaらによって神経心理学的に詳細に調べられた結果,左右大脳半球の高次脳機能が明らかにされたのである. しかし,その基盤となる細胞レベルでは未だ不明なことが多く,てんかん発作との関係についてもほとんど解決されていない.約2億の脳梁投射ニューロンも大脳皮質全体で約140億の神経細胞があることからみれば,約1.5%に過ぎず通常の皮質焦点切除で失う神経細胞数よりは小さいであろう.しかしSzentagothaiの試算によれば,交連,連合カラムの発散や収束比は約50であるという.したがって,いま1個のカラムに充分な興奮が生じれば,数分の1秒後にその影響が大脳の広範囲に及ぶことは想像に難くなく大脳皮質の時間空間的活動パターンに大きく関わっていると考えられる.脳梁線維が切断されればワーラー変性でその終末部分は消失するが,他の投射からのシナプス新生が生じ局所神経回路の組み替えがおこる可能性があり,また脳梁投射錐体細胞の軸索には分岐して複数の同側性投射を示すものがあることからすべてが逆行性に変性するのかどうかも不明である.いずれにせよ皮質内神経回路とくに連合投射系の再構成が生じることは充分考えられる. 

     海馬で最初に発見され,てんかんとの関係でも数多くの研究がある長期増強や小脳で見出された長期抑圧現象が,同じくグルタミン酸を伝達物質とする大脳皮質錐体細胞終末のシナプスでも確認されている.NMDA受容体の活性化とそれに引き続く細胞内過程やNOやCOによる逆行性信号伝達によって,シナプスやイオンチャンネルの構造変化が生じることが想定されている.個々の神経細胞の興奮性は数多くの要因で制御されているし,多重に接続された神経回路の活動はシナプスを介した信号によってもダイナミックに変動している.したがって,実験的には極めて多様な操作でてんかん様発作を惹起できるのであろうが,少なくとも現在のところヒトのてんかん脳でその原因とされる受容体やイオンチャンネルの異常などは発見されていないし,大きな神経回路の異常も知られていない.発作時以外では概ね正常な脳機能を果たしていると考えれば,検出できないくらいの微小な異常なのかもしれない.カオスの世界で局所的な蝶の羽ばたきが大気の大変動を引き起こすというバタフライ効果を思い浮かべたりもする.全脳のわずか1%である脳梁投射系の遮断がてんかん発作を止めるのもバタフライ効果であろうか.私自身のてんかんの成因あるいは,脳梁機能の研究は遅々として進まないが,それを通して,Wada教授と,昨年亡くなられた森和夫長崎大学名誉教授の教えを受け多くの優れた友人たちに巡り合えたのは望外の喜びである.私たちのささやかな努力と試みがてんかんの臨床と研究の分野にバタフライ効果を引き起こせる可能性を信じて励みとしたい. 
 

     先日のてんかん学会サテライトシンポジウムの会場で,ニューヨーク滞在中にDr.Mosheのラボで一緒に研究したことのある岡田玲子博士が,今年1月に逝去されたことを聞いた.謹んで御冥福をお祈りする.